クォリティファーストは 永遠に揺るぎなく
VOL.311 / 312
花里 亮拡 HANAZATO Akihiro

株式会社エンドレスプロジェクト・株式会社エンドレスアドバンス 代表取締役社長
1991年生まれ、長野県佐久市出身。長野県の公立高校を卒業後、千葉工業大学の情報学科に進学。卒業後は父が経営するエンドレスグループに入社、製造部門、広報部門など多様な部署を経験する。2017年取締役に就任、先代会長没後はご遺志を継ぎ代表取締役社長に就任、現在に至る。
HUMAN TALK Vol.311(エンケイニュース2024年11月号に掲載)
F1やWRC、SUPER GTなど、世界中のトップカテゴリーのレースにおいて絶大なる信頼を勝ち取っている「ENDLESS」ブランド。アフターパーツ業界でもその実績と性能に裏打ちされた人気は高く、世界各国にファンを獲得しています。2023年 創業者の花里 功氏より後を受け継いだ花里亮拡氏に聞く今までの人生とエンドレスのこれからとは。
クォリティファーストは 永遠に揺るぎなく---[その1]

レーシングカーの足元はエンケイ製ホイールが支える
父の記憶が無い
エンドレスグループは1986年に先代の故花里 功氏により創業された。功氏自らのレース経験からブレーキパッドの開発に着手し、翌年にはF3000マシンでブレーキパッドのテストを開始するとともに法人化。瞬く間にエンドレスのブレーキパッドはレーシングカーの70%のシェアを得たという。その後は知られているように名声とシェアを拡大し、1991年には年間売上が10億を超えるまでとなった。現代表取締役社長の亮拡氏が誕生されたのも、バブルの余韻が残るこの年のことでした。
「子どもの頃の父の記憶はほとんどありません。夜は遅くまで仕事や接待で帰って来ないし、朝も遅いしで生活のリズムはずっとすれ違い。父と一緒に家族でどこかに旅行へ行った記憶も北海道に1回行ったくらいで、あとは数えるほどしか無かったと思います。そのくらい仕事一筋の人でした。中学時代、担任の先生から『職業体験の授業でお父さんの会社に行かせて欲しい』など言われることもあったので、父の会社がどんな会社なのかはもちろん知っていましたが、ほとんど接触機会が無い人だったので、仲が良い悪い以前の話でしたね」
ウソで配置転換
工業系の高校で旋盤や製図、溶接など工作機械の一通りを習得した亮拡氏。ところが進学先の千葉工業大学で選んだ分野は全く畑違いの情報学科。コンピュータ関係へと進んだのです。「漠然とですが、ホームページを作ることやパソコン関係の仕事をしてみたいなと思ったんです。卒業研究では画面上を追う目の動きの研究など、どちらかというとグラフィックデザインや統計学の分野に近いテーマをメインにしていました。
そして、卒業後はエンドレスへと入社。最初の3ヶ月間は研修期間として、製造部門でモノを作りながら商品が出来るまでの過程と商品を覚えることを経験します。ところが3ヶ月経っても人手が足りないことを理由に、約1年もの間『お前器用だから』とブレーキパッドやキャリパーを作っていましたね。いいか悪いかは別にして、工業高校で工作機械のイロハを学んだ経験がとても役に立ちました。そして社員研修を満了した後は、一転してWEBサイトリニューアルのため、東京営業所へ行くことに。元々WEBサイトの管理などは亀戸にある東京営業所の方で行っていたのですが、私が大学でプログラミングの勉強をしていたこともあって、先代から『お前なら出来るだろう』と派遣されました。東京営業所の上階に住み込みながら営業のノウハウやWEBのリニューアルに従事し、4年の月日が経った頃、先代から『病気になった。このままじゃ会社が持たないから戻ってきてくれ』と辞令が出されました。そりゃ心配ですから荷物をまとめてすぐに本社がある長野に帰ったんですよ。最初は先代も『調子悪い、調子悪い』とずっと言っていたのに、2ヶ月くらいしたら『あれ?なんか違ったわ』とか言い出して・・・管理職や医者も共犯の嘘だったんです、私を呼び戻す方便だったんですよ(笑)。それからは〝社長付き”というポジションで社長の後ろで言うこと、やることを見聞きしながら仕事を学ぶという毎日。日常では社長に付きながら、企業カタログ作成、雑誌広告のデザインやグッズ作成、イベント企画、キャリパーのオリジナル材質の開発まで一人4役か5役くらい奔走していました。子どもの頃は父とほとんど接触する機会が無かったのに、本社に戻って社長付きになってからはずっと一緒の部屋で仕事をする関係に。それはなんだか不思議な感覚でしたね」

仕事に全ての情熱を注いだ創業者の花里功氏
10月にロゴをリニューアル!?
そして、亮拡氏が戻られてからすぐにエンドレスは一つの転機を迎える。ロゴを変更したのだ。「先代から『コピー品が横行しているのが目に付くからロゴを変えるぞ』と。『ロゴを変えられる奴(私のこと)が来たからな』と言うわけです。いやいや、それ言い出したの10月ですよ、この業界は年明けにオートサロンという大きなイベントがあって、展示も商品も販促物も全部そこに向けて大詰めの頃です。そのタイミングで変えたらどうなるかわかりますよね、全部変更ですから(笑)。といっても言い出したら聞かないのが先代でしたので、寝る間も惜しんでロゴをリニューアルして、オートサロンに向けてカタログから展示から全部間に合わせました。
先代はお客様や仲間には太陽のように優しく人を信じて疑わない人でした。弟の祐弥※(まさや)曰く『人の導き方が上手い人だった』とも。私で言えば高校でモノ作りを覚え、大学でWEBサイトやデザインのことを覚えてきたら、前述の通り上手くその人が活きるようなポストを用意するんですよ。人の力を見極めて引き上げていくというか。弟も自動車の専門学校を卒業後、エンドレスでは最初にメカニックとして働き、車の構造を理解してから現在はレーシングドライバーになっています。『その経験が無く、いきなり若造でドライバーになっていたとしたら今の自分は無い』と弟も言っています。家族には決して優しいとは言えない父でしたが、仕事に対する情熱は尊敬に値する人でした」
そんな功氏であったが、ステージ0のガンが思わぬ進行をしたのが原因で2023年に急死することとなる。そして後継者問題や銀行との悶着を乗り越え、亮拡氏が代表取締役社長として後を継ぐこととなる。

亮拡氏がデザインした現行ロゴ(下)
クォリティファーストは 永遠に揺るぎなく---[その2]
HUMAN TALK Vol.312(エンケイニュース2024年12月号に掲載)
まずは働き方改革
エンドレスグループの代表取締役社長に就任した亮拡氏が、まず取り組んだのは働き方改革でした。「それまでは長時間残業が常態化していました。それは良くない、労働基準法をきちんと守るべき、残業は月42時間以内に抑えようではないかと。それだけではなく、休日出勤をしたら振替休日をきちんと取る、会社で定めた年間休日を増やし、設備投資を行い作業者の効率を上げる、とにかく世の中では当たり前のことを当たり前にしようという改革を1年間でドラスティックに行いました。無論、最初は反対する意見もありました『稼働日数や時間を減らしたら売上が落ちるのではないか』という声や『残業代が減ったら生活に支障が出る』といった心配ですね。結果どうなったかというと、売上は前年度と比べ落ちましたが、作業の効率化で経常利益率は上がりました。懸念事項の残業代が減る分はベースアップを行い、工場の空調を含む職場環境の見直し、労働環境の改善により、今後も優秀な人材の確保と定着を期待しています」

サーキットこそエンドレスの実験と実証の場

近年新工場も竣工し、生産キャパもアップ
代理店の成長と成熟
亮拡氏が長野に戻られてからの業績の変化について伺った。「2013年から2020年までは堅実に右肩上がりで増えていました。それが2021年から急激に上昇カーブを描いたのです。コロナの影響、エンドレスの認知度アップなどさまざまな要因が考えられますが、一つの要因として海外展開の結実があります。とりわけ中国の発展がすごいです。弊社は日本以外、1国1代理店制度を採用しています。中国は香港の代理店が担当しているのですが、その代理店の熱の入れ様がとにかく規格外。綺麗なショールーム付きのエンドレスのビルを建ててしまったんですよ。エンドレスは実は中国のブランドなんじゃないかって勘違いする人もいるくらいです。
急激に市場が拡大したというよりも、代理店の方とお互いにコミュニケーションを取ることで、先方も商品知識や販売方針を吸収し、自信を持ってセールスできるようになる、その結果ではないでしょうか。
思い返しても何か特別なことを仕掛けたわけではありません。協力してくれる強い仲間の存在があり、今のエンドレスと言うブランドがあるのだと思います」

足元の青いブレーキは信頼の証だ
難しいEVのブレーキ
「近年、電気自動車でモータースポーツを楽しむ文化が徐々に浸透してきていて、サーキットやスポーツ走行を楽しむユーザーも増えてきています。しかし、電気自動車は車体重量が重く、モーターは低回転トルクが高い為、ブレーキを強化したいというニーズが一般のユーザーでも多いです。ただ単にストッピングパワーを上げるだけでは減速Gが急に立ち上がるので、不快な乗り心地になってしまいます。回生ブレーキとの兼ね合いもありますから、味付けは電気自動車特有の難しさがあります。だからこそ、一般の方でも無意識に快適に乗れ、止まるべき時にはしっかりと止まれるようなブレーキパッドが求められる、そんなニーズにマッチする商品を生み出し続け、ブレーキ性能で応えていきたいと思っています」
クォリティファーストを守る
「10年後の予想なんて正直できません。ガラケーからスマホへの変化がここまで速いなんて誰も予想できなかったように、自動車のEV化の流れがここまで速いと想像できなかったように、現代の流れはとても速く、予想は困難です。だからこそ、地道にモノづくりに邁進することが大切だと思います。もちろん人的資源にも設備にも投資を怠ることなく、新しいことにもトライしていく。ただ唯一、国内製造というところにはこだわり続けていきたい。海外で同じ機械、同じ製造方法で造ったとしてもやはり同じものはできないんですよ。一時期海外製のウチの模倣品が出回ったことがありましたが、性能的には全く違う。姿形は模倣できても性能は模倣できない。エンドレスのブランド価値を守るという観点からも「クォリティファースト」という創業時からのポリシーを守り続けていかなければいけない。それは先代の頃からずっと変わらないエンドレスのアイデンティティだからです」

オートサロンには世界中から取引先が集まる